手が無くったって、やっぱり我が子は可愛い
投稿日:2018年4月29日 更新日:
sashi(夫)です。
ツムが産まれて一日経ったときの気持ちです。
少しづつ前向きになってきます。
私たちの娘をまっすぐ見た
嫁が娘を抱いたとき、心から幸せそうな顔を見て、
僕からモヤモヤした気持ちが吹き飛んだ。
ようやく娘をまっすぐ見る事ができた。
ツムは生まれたての時より、早くも顔つきが変わっていた。
少し引き締まったように見える。
それにしても…
産まれた時から髪がフサフサとは。
助産師さんもビックリするくらい。
もともと、僕も嫁も髪は多く固く太い。
できれば子は毛量も普通で柔らかければ良いな…
という両親の期待を、早くも見事に裏切っていた。
顔はどうだろう。
泣いたらガッツ、寝てるときはヒフミンってところかな。
嫁は似てないと言うけれど。
そんなこんなで、初めて我が子を抱いた。
今まで、赤ちゃんを抱いたことはほとんどなかった。
進められても断っていた。
小さすぎて、壊れてしまいそうで…。
初めて抱いた我が子も、やっぱり小さくて壊れそうだと思った。
でも、生きているんです。
その小さな身体に、命を宿してる。
その小さな身体を抱き、人生で初めて赤ちゃんにミルクをあげた。
ツムは必死に僕が手にしている哺乳瓶に吸い付いて、“コクコク”と飲んでいた。
このとき、強烈に我が子を愛おしく思った。
片手が無いことなんて、何も気にならないくらい「可愛い」と。
親族 / 親しい知り合いに報告した
皆>「産まれた!?」
「産まれたよ。でもね、五体満足で生まれることはできなかった。左手は肘から先がほとんど無いんだよ。でも無事産まれたんだよ」
皆、その話を聞いた後、しばらく無言か「嘘でしょ?」がほとんど。
ホントなんです。
でも、何だろう。伝えるって結構辛いものかなと思ったんだけど、
[片手が無いことなんて、何も気にならないくらい「可愛い」]
そう書いた通り、僕は“伝えること”に関してあまり苦に感じていなかった。
このときよりも産まれて一か月後のほうが“伝えること”が辛かったな…。
この内容はまた今度書きたいと思います。
皆、各々が必死に言葉を選んだように励ましの言葉をくれた。
そして、最後にみんな、「おめでとう」って。
ツムが産まれてきたことに対して「おめでとう」って言葉。
ツムは産まれてきてよかったんだよ。
祝福の言葉、純粋に嬉しかった。
退院までは、普通のお母さんとお父さん
帝王切開もあって、嫁はツムと共に1週間入院。
僕は丁度ゴールデンウィークということもあり、退院までは毎日病室の
微妙な硬さのソファで寝泊まりしていた。
この期間は、たぶん普通のお母さんとお父さんと同じ悩みで子育てをしていた。
抱っこしても泣き止まない。お腹がすいてるのかな。何で泣いてるの?なんでソファは少し硬いの?
とにかく元気で、ずっと赤ちゃんに付きっきりでクタクタだった。
退院前に言われたこと
先生からかしこまって、話があった。
先生>「お子さんの心臓音に雑音が混じってます。」
『手が無くても元気に生まれてきてくれたから』
という僕たちの心のよりどころが揺らいだ。
でも、「赤ちゃん心雑音」で検索すると、「30~70%の赤ちゃんに心雑音はある」と書かれていた。
少しホッとした。
手だけでもすごい事なのに、心臓までって。
大丈夫、神様はそんなに残酷じゃないよ。
なんて事を嫁と話し、そこまで気にはしていなかった。
しかし、翌週状況は変化する。
つづく。
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