いつのまにか、どん底にいた僕は職場で泣き崩れた。
投稿日:2018年6月10日 更新日:
こんにちは。夫のsashiです。
久しぶりの夫としてのブログです。
今日は、子供に心臓の手術が必要と言われて、米メンタルが潰れたお話。
「心臓手術は必要です。」
6月6日。
心臓の検診の日です。
この日、お医者さんには「経過は変わらず」とのお話をいただきまいた。
ホッっとしました。
「心臓の穴は塞がっています」という言葉が一番良いのですが、病院に行くたびに何か問題提示をされていたので、「何も変わっていない」という言葉も安心する言葉の一つとなっていました。
そして、この時、聞きたくないような聞きたい言葉を先生にぶつけてみました。
僕<「ツムは、心臓手術をしなくてもいい可能性はありますか?」
先生は、毅然とした態度で応えました。
先生<「手術は必要です。」
冷静を装っていましたが、頭の中は真っ白になっていました。
先生<「弁奇形による、僧帽弁逆流は、命に関わる病気です。今すぐには必要ありませんが、大きくなってから人工弁の手術は必要だと考えられます。」
先生<「そして、その手術は成長に合わせて定期的な手術が必要です。」
何故?
僕のメンタルはこのタイミングでさらに潰れてしまいました。
左手がほとんどなく生まれてきたツムに対して。
「元気に生まれてきたのだから」
と自分に言い聞かせ。それを心のより所にして、無理やり納得して、前向きに考えてきた。
心臓に疾患があると聞かされて
「まだ回復の見込みがあるのだから」
と自分に言い聞かせ。次はそれを心のより所にして前向きに考えてきた。
そして、今回。心臓の手術が必要。人抗弁を入れると行動制限と食事制限。一生薬を飲み続けなければいけないという現実。
「・・・・」
もう何をより所にして、納得して前向きになればいいんだ。
そんなことを考えていた。
無邪気に笑うツムを見て。
できるなら変わってやりたい。そんなことを思い、苦しんでいた。
嫁とほとんど話はできなかった。
先生から言われた事に対して、僕と嫁は暫くその話に触れることはなかった。
なんて嫁に話しかければいい?
どうしよう?頑張ろう?
何を話したらいい?そんなことを考えながら、家に帰ったのを覚えています。
満を持して、嫁に切り出した。
何を話した?正直、今思い返しても、どんなことを話したか覚えていない。
互いに不安になり、この日からまた携帯と睨めっこする生活が始まった。
ツムは、何も知らない。
ただただ、おっぱいが欲しくて泣いていた。
ツムにとっては、いつもと変わらない一日だった。
夫婦の会話は減り、携帯と向き合う毎日が始まる
「これおいしいね」
「うん。ありがと」
「・・・」
簡単な会話をし、テレビの音だけが聞こえている。
僕の手には常に携帯を。
嫁の手にも常に携帯を。
夫婦の会話がゼロだったといえば、嘘になるが、夫婦の会話は目に見えて減っていた。
長く会話になったとしても、その内容は「人工弁」や「心臓手術」「行動制限」などなど。
楽しい会話?ほとんど無い。
頭の中にある不安要素を潰す為に、ひたすら調べた薄っぺらい内容について話をしているだけだった。
僕達は、医者でも学者でも無い。
ただただ、インターネットに誰が書いたか分からない文字列を必死に都合の良いように解釈して、よく分からないまま仮定の話をしているだけ。
見るべき相手はインターネットでもなく、携帯でもなく、わが子のハズなのに、僕達はただただ何かにすがるための情報を探していた。
ツムは、お婆ちゃんから貰ったおもちゃを見て、1人で興奮していた。
この日もツムにとっては、いつもと変わらない一日だった。
積もる気持ちがキャパを超えた。
インターネットで見る情報で不安がつのる。
人工弁には種類がある。
一生薬を飲み続けなければいけない。
成長に合わせて定期的に手術が必要。
手術の成功率は100パーセントではない。
食べるものにも気をつけなければいけない。
僕が望んでいる情報はインターネットには無い。
無いだけでは無い。どちらかといえば、知りたく無い事がほとんど。
一時期訪れた、見る景色が変わる症状再来。
健康な子供が手を引かれて歩く姿。
自転車に乗る子供の姿。
お酒を飲む人。
激しい運動をするスポーツ選手。
もうね。辛かった。
ツムは「やろう」と思うことさえできないのかって思って。
決してそんなことは無いのに、もう頭の中が悪い方向へと向っていくのが分かった。
そして、僕はその気持ちを消化することができなかった。
早くに嫁に打ち明ければよかったのかもしれないが、そんなこと考える隙もなく、ただただ頭の中で巡らせていた。
そして、遂に職場で泣き崩れた。
恥ずかしい話なのだけど。
もう色々なことを考えすぎて、仕事が手に付かなくなった。
気付いたら涙が出ていた。
部下に気付かれないように、上司に事情を話し、休憩させてもらった。
そこから仕事に戻るための気持ちの整理を1時間ほど。
仕事をする気持ちを作って、いざ席に戻ろうとした矢先に、僕の事情を全て話してある役員の方が話を聞きつけて入ってきた。
洗いざらい僕の考えていることを話した。
せっかく仕事をする気持ちを作ったのだが、また不安な気持ちぶり返した。
心臓のこと。これまでのこと。今、どう思っているのか。
その役員の方は、何も言わず、じっと話を聞いてくれた。
そして、僕が話をした事をかいつまんで話をしてくれた。
sashiは「かわいそう」だと思うか?
僕<「僕は思ってはいけないのは分かっているが、やっぱり不自由な身体で生まれてきてしまったことを、どうしてもかわいそうだと思ってしまいます。」
役員<「かわいそう」はその子が決めることであって、お前が決めることではない。俺はお前と同じ状況じゃないから偉そうなことは言えないが、やっぱり親が子に「かわいそう」だと思えば、「かわいそうな子」になってしまうんだよ。
そんなことは、分かってる。
この時は、ただただ頭の中を流れた言葉だったが、考えられるようになってからは、人から言われることで、色々考えさせられる刺さる言葉だったと今は感じています。
話を聞いてもらって、すこしスッキリはしたが、やっぱり悩んでしまう、考えてしまう頭は変わらずのままでした。
そして、この日は仕事を残して定時で帰宅しました。
嫁から、「何かあった?」
という言葉に、僕は涙した。
つづく。
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