産まれたばかりのわが子を、素直に喜べなかった嫌な自分
投稿日:2018年4月28日 更新日:
sashi(夫)です。
前回の続きになります。
ちなみにこのブログは、当時にさかのぼった日付でアップロードしています。
初めて娘と対面し、頭の中が真っ白に。
先生>「お子さんに奇形があります」
僕の頭は真っ白になりました。
わが子はタオルに包まれて、顔だけが出ていました。
何だ、普通じゃないか。どこが奇形だ。ホッとした。
最初見た率直な感想はこんな感じでした。
そのすぐ後、
先生>「左手と左耳に奇形があります」
そう言って先生は赤ちゃんにかけられたタオルをめくる。
再び頭が真っ白に。
ゆっくりとタオルがめくられた我が子の身体には、普通ならあるはずのものが無い。
左手の、肘から先が、無かったんです。
この時、先生が何か言っていたはずなのだが、今も何も思い出せない。
喜ぶ準備はできていた。
待ち望んでいたわが子の誕生です。
嬉しい事のはずなんです。
それなのに僕は、赤ちゃんから目を逸らせてしまう。
わが子なのに、この子は何も悪くないのに。
頭の中がおかしい。何も考えられない。言わば放心状態。
何故?検診でもエコーでも順調だったじゃないか。
嫁は妊娠中、常に赤ちゃんを第一に食事も体調も気をつけていた。
何故?どうして?何がダメだったの?
心のどこかで、五体満足で生まれてくることが“当たり前”だと思っていた自分にとって、目の前の現実が受け入れられずにいた。
「これは夢かもしれない」
本気でそう思った。
今思えば、娘に対してこんな失礼な事はないよ。
本当にごめんね。弱い父で。
あなたの将来を考えると、不安で、辛くて、優しく笑いかけてあげられなかったことを本当に後悔しています。
嫁に伝えるまでの葛藤。
赤ちゃん(ツムちゃん)はタオルに包んだ状態で、出産直後に嫁は顔を見たそう。
しかし、初日に顔を見ることができたのはその一度きり。
身体のこともあり、産まれた初日は病院側の配慮で嫁とツムちゃんは別々の部屋で寝る事となった。
もちろん、嫁はツムちゃんの身体のことはまだ知らない。
ツムちゃんが産まれたのが27日のPM11時40分頃。
僕がツムと対面したのが28日AM0時頃。
そこから僕が出産後、嫁と顔を合わせたのが28日AM1時頃。
僕>「嫁に会う事はできますか?」
助産師>「もちろんです。ただ…、奥さんは酷く疲れています。お子さんの事は、朝になってからのほうが良いかもしれません。」
すぐに言うべきか、朝になってから言うべきか。
色々な事を考えたけど、朝になってから言う事に決めました。
頑張って出産した嫁に、せめて今日だけは何も考えずゆっくり休んでほしかった。
娘の現状を一晩は一人で抱え込むことを腹に決め、嫁がいる病室へ向かいました。
早く嫁に会いたいという気持ちはあったけど、正直足取りは重かった。
嫁の病室へ
嫁の顔が見えた。痛みに悶える表情はもう無かった。
10ヵ月の間、膨らんでいたお腹ももう無かった。
安心した。
僕>「よくがんばったね」
嫁>「がんばったんだよ」
うつろながらもニコっと笑った嫁の顔は美しかった。
嫁から「赤ちゃん抱っこした?可愛かった?」という問いに対して
僕は「抱いた、可愛かった!」と答えた。
嘘だ。
僕は赤ちゃんを抱いていない。抱けなかった。
抱くタイミングが無かったのか、抱きたいと申し出なかったから抱けなかったのか。
「抱いた」という僕の言葉に対し、
嫁は「いいなぁ」と言った。
正直辛かった。
けど、今は嫁を休ませてあげたいという気持ちで涙をこらえ、引きずってたかもしれない笑顔で嫁に笑いかけた。
休ませたかったはずなのに、嫁は「ハイなの」とよく意味が分からない事を言ってしばらくは寝なかったみたい。
なんにしろ、嫁さんほんとうにお疲れ様。よく頑張った。ありがとう。
嫁はあまり眠らなかったみたいだが、僕もいろいろな気持ちが頭を駆け巡り、眠れなかった。
自分だったらすぐに伝えてほしい。嫁も同じ気持ちなんじゃないかなって。
そんなこんか考えていたら、気付けば、もう朝だった。
早朝5時くらいだったか。
嫁に子の身体の事を伝えようと切り出す。
少し話し始めただけなのに、涙が溢れる。
絶えろ。という自分の気持ちに反して涙が止まらない。
嫁は戸惑っている。
そしてようやく本題を切り出す。
僕>「僕たちの赤ちゃん。無事に産まれてきてくれたんだけど
左手がなかったの。ひじから先がなかったの。」
嫁は涙を流しながらうなずいていた。
嫁>「赤ちゃん元気なんだよね??」
嫁は赤ちゃんの身体のことよりも、赤ちゃんの無事を心配していた。
赤ちゃんの無事を確認した後、嫁から出た言葉にさらに涙が止まらなかった。
嫁>「一人でかかえてたんだね。ごめんね。ありがとう」
ずっと、僕は嫁を支える存在とか勝手に思っていたんだけど、
実際は僕が嫁から支えられていたことに気が付いた。
助産師さんにお願いして、ツムちゃんを僕たちのもとへ連れてきてもらいました。
家族3人が初めて集まった瞬間
僕たちのもとへ、ツムちゃんは運ばれてきた。
嫁にとっては、意識がしっかりした状態で初めて見る我が子。
心の底から嬉しそうな顔をしていた。
帝王切開のため、起きて抱くことはできなかったが、
助産師さんに添い寝させてもらっている嫁の顔は、
絵に描いたような幸せいっぱいの顔だった。
もちろん手のことも、全て把握した状態で、我が子の誕生を喜んでいました。
そんな嫁の姿を見て、とても気が楽になった。
それと同時に、自分が恥ずかしくなった。
将来のことばかり考え、悲観し、今生きている我が子をまっすぐ見てやれてなかったこと。
喜べるはずなのに、素直に喜べない自分自身。
嫁にはいつも、自分には無い大切なことを気づかされる。
大丈夫。嫁と一緒なら、この子を育てていける。
そんなことを考えた。
今は無事に産まれてきたことを心から祝おう。喜ぼう。
これからどんなことがあるか分からない。
でも、笑って乗り越えていけるような家庭を築いていこう。
そう前向きに考えられるようになったのは、嫁のおかげなのだろう。
ツムちゃん。
いつか生まれてきてよかったと言ってもらえるように、パパとママは
頑張って育てていくね。
生まれてきてくれてありがとう。
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